ツール・ド・おきなわ2009 [ツール・ド・おきなわ]
勝負できるほどの力はないにしても、「源河くらいまではいけないかなぁ」というのが、レース前の思いでした。
スタートし直後、昨年は4人の逃げができましたが、今年は一人のあとが続かなかったようで、これは間もなく吸収となりました。
その後、外国人の逃げが決まります。
1回目の普久川を終えて、その後のアップダウンは結構いいペースで、30人くらいに集団は絞られました。
奥の手前で、私を含む6人ほどが少し飛び出す形になりましたが、泳がされている感じだったので、本気で逃げるのはやめようということになり、とりあえず、追いつかれるまで疲れない程度に前で走って、奥の上りの途中で追いつかれました。
ここで、前の逃げ3人との差が「4分」と告げられました。
そのまま上りでR_Expressさんが少し先行する感じでくだりに入り、辺戸へ。
逃げが3人、約4分差で第1集団が約30人で、85kmの部のスタート地点に差し掛かったとき、レッドフラッグで止まれの指示が出されました。
理由も告げられないまま、集団は止められ、2分くらいして第2集団の到着してしまいました。
「死亡事故が発生したのでは?」と憶測が飛び交いましたが、10分以上経ってから出された説明では、
「市民200kmのペースが速すぎて、女子国際のスタート時刻前に通過してしまった」
ということが原因だったらしく、結局、30分ほど待機させられて、女子国際がスタートした後に再スタートとなりました。
で、
まず、逃げの3人がスタート。
その後、4分待ってから、残りの全員が同時スタート。
なにそれ~という雰囲気が漂っていました。
私も来年以降、出場をやめようかと思ってしまいました。
仕切りなおしの後の、2回目の普久川、逃げとの差は既に2分30秒になっていました。
普久川を上るペースは結構まったりな感じでしたが、私は息切れしていました。
上り終わって、下ってから、高江。
この上りで、10人くらいが抜け出します。
私は少しくらい差が開いても、これまでのように下りパートで追いつくだろうと無理をしませんでした。
武末さんも後ろに残っていたのも大丈夫だろうと思う要因のひとつでした。
ただ、この集団のペースは特に下りで落ちてしまい、気がつけばバイクから、
先頭と1分、第1集団と30秒
というタイム差を告げられました。
30秒開いてからは、積極的に前を追う感じがますますなくなり、いつの間にか後ろの集団に追いつかれ、8人くらいだった集団は15人くらいになっていました。
ただ、これは寧ろ良かったのか、ペースは回復したような気がしました。
そして、源河へ。
で、今回は終始、上りがきつかったです。やはり、カラダが重くなりすぎました。以前は嬉しかったはずの上りが、苦痛以外のなにものでもなくなっていました。
源河で遅れてしまいました。
下りきって、平地に入ったところで、前は遠くに3人、後ろは見えずで、ラスト10kmはひとりさびしく走ってゴールとなりました。
27位でした。
途中の中断&再スタートもありましたが、結局、中断までも強い走りをしていた選手が表彰台に上がることになったので、それは良かったと思いました。
「頑張ればついていけた」というレベルではなくて、「頑張らなくてもいけている」くらいじゃないと勝負にはなりません。
来年は体重を減らせないようだったら出るのはやめよう…と思っているのが現在の心境です。
ただ、今年に関していえば、観光や食という意味で沖縄を満喫できたので良かったと思っています。
スタートし直後、昨年は4人の逃げができましたが、今年は一人のあとが続かなかったようで、これは間もなく吸収となりました。
その後、外国人の逃げが決まります。
1回目の普久川を終えて、その後のアップダウンは結構いいペースで、30人くらいに集団は絞られました。
奥の手前で、私を含む6人ほどが少し飛び出す形になりましたが、泳がされている感じだったので、本気で逃げるのはやめようということになり、とりあえず、追いつかれるまで疲れない程度に前で走って、奥の上りの途中で追いつかれました。
ここで、前の逃げ3人との差が「4分」と告げられました。
そのまま上りでR_Expressさんが少し先行する感じでくだりに入り、辺戸へ。
逃げが3人、約4分差で第1集団が約30人で、85kmの部のスタート地点に差し掛かったとき、レッドフラッグで止まれの指示が出されました。
理由も告げられないまま、集団は止められ、2分くらいして第2集団の到着してしまいました。
「死亡事故が発生したのでは?」と憶測が飛び交いましたが、10分以上経ってから出された説明では、
「市民200kmのペースが速すぎて、女子国際のスタート時刻前に通過してしまった」
ということが原因だったらしく、結局、30分ほど待機させられて、女子国際がスタートした後に再スタートとなりました。
で、
まず、逃げの3人がスタート。
その後、4分待ってから、残りの全員が同時スタート。
なにそれ~という雰囲気が漂っていました。
私も来年以降、出場をやめようかと思ってしまいました。
仕切りなおしの後の、2回目の普久川、逃げとの差は既に2分30秒になっていました。
普久川を上るペースは結構まったりな感じでしたが、私は息切れしていました。
上り終わって、下ってから、高江。
この上りで、10人くらいが抜け出します。
私は少しくらい差が開いても、これまでのように下りパートで追いつくだろうと無理をしませんでした。
武末さんも後ろに残っていたのも大丈夫だろうと思う要因のひとつでした。
ただ、この集団のペースは特に下りで落ちてしまい、気がつけばバイクから、
先頭と1分、第1集団と30秒
というタイム差を告げられました。
30秒開いてからは、積極的に前を追う感じがますますなくなり、いつの間にか後ろの集団に追いつかれ、8人くらいだった集団は15人くらいになっていました。
ただ、これは寧ろ良かったのか、ペースは回復したような気がしました。
そして、源河へ。
で、今回は終始、上りがきつかったです。やはり、カラダが重くなりすぎました。以前は嬉しかったはずの上りが、苦痛以外のなにものでもなくなっていました。
源河で遅れてしまいました。
下りきって、平地に入ったところで、前は遠くに3人、後ろは見えずで、ラスト10kmはひとりさびしく走ってゴールとなりました。
27位でした。
途中の中断&再スタートもありましたが、結局、中断までも強い走りをしていた選手が表彰台に上がることになったので、それは良かったと思いました。
「頑張ればついていけた」というレベルではなくて、「頑張らなくてもいけている」くらいじゃないと勝負にはなりません。
来年は体重を減らせないようだったら出るのはやめよう…と思っているのが現在の心境です。
ただ、今年に関していえば、観光や食という意味で沖縄を満喫できたので良かったと思っています。
難しい状況の中での200kmお疲れさまでした。
来年の激走に向けて少しづつ準備して行って下さい。
昨日、山中湖でひとりでトレーニングに励むチームCBジャージの方を目撃しました。
ヨッシーさんの仲間もがんばっているようです。
by マツモヴィッチ (2009-11-09 08:12)
マツモヴィッチさん、
2009年は予定通りにはいかないことだらけでした。
来年も「おきなわ」に出るかどうか?は、まだわかりませんが、万全で挑んでみたい気持ちはあります。
逆に、万全じゃなかったら、もう走らなくてもいいかなと思っています。
山中湖を走っていたメンバーが誰か、やっとわかりました。
西湖のレースに出ていたメンバーだと思っていたのですが、違いました。
私以外にも、今年は不完全燃焼だった二人が、富士周辺で熱くなっていたようです。
2010年はチーム全体で盛り上げていきたいです。
by よっしー (2009-11-11 21:34)